頂点へ ~窓場由加奈~

1993年10月21日、競輪の現役A級選手である父と学生時代に日本体育大学で体操選手として活躍した母との間に由加奈は生まれた。

優れたスポーツ選手のDNAを引き継ぐ由加奈は小学生になるとバドミントンを始め、小学生時代は4年生時同学年の近畿大会で複優勝、5年生では複準優勝、単ベスト4と着実に実力を付ける。

だが、由加奈の才能が本当に開花したのは中学生になってからだった。



地元長岡京市の長岡第二中学校に進学した由加奈は1年生にして、同じピスコムジュニアの先輩・真理(高橋:当時の京都単王者)に京都府下大会で勝利する。結果的にはその他の対戦結果から同大会は3位で終えたが、今にして思えばこれが由加奈の急成長の転機だったのだろう。
それ以前は、自分の足の速さに体がついていかず何か足が地につかないバタバタした印象すら思わせたフットワークだったが、この大会後急速に体が付いて来はじめる。また、同時にインパクトの強さにフェイントの技術も形になりはじめ、由加奈の成長は更に加速する。

2年生になると他との圧倒的実力差で昨年逃した京都の頂点に上り詰め、その先の近畿大会でもベスト4に進出。2年生にして全国中学校選手権大会への出場権を獲得する。更に全国でも躍進は止まらず、2年生ながらベスト16に進出。一躍来年度の全国優勝候補に名を連ねることになる。

ラスト勝負となる翌年、京都では敵なしで京都府下大会連覇を果たした後、京都産業大学を始めとする関西1部リーグ相手の武者修行でも大学生相手に互角以上の勝負を演じ自信を持って近畿大会に乗り込む。すると、そこまでの練習で培った圧倒的なスピードに柔軟性と破壊力の両面を持ち合わせた多彩なショットを武器に敵を寄せ付けずに勝ち進んでいく。

そして、表現として正しいかどうかは定かでは無いが、筆者である小国としては「あまりにもあっさりと、あまりにもあっけなく」ピスコムジュニアの当時の悲願でもあった近畿の頂点に上り詰めたのだった。

この勝利でピスコムジュニアの目標が「全国制覇する選手育成」にと変わったが、その目標達成も由加奈であれば次のステージ「全国中学校選手権大会」で達成してしまうのでは無いかという期待すら抱かせる近畿大会での快勝劇であったが、そこでは全国のレベルを見せ付けられる結果となる。



第2シードの好位置からのスタートとなった全国大会では、緒戦免除で迎えた二回戦で埼玉の渡邊選手と対戦。1ゲーム目は中盤から抜け出すと、抜け出した後は一度も追いつかれることなく21-16で快勝。迎えた2ゲーム目は相手を寄せ付けず21-8とストレート勝ちで完勝。弾みのつく勝利となる。

迎えた三回戦では熊本の山本選手。小学生時代にも対戦したことがあり、その時は完敗している相手だけに若干の苦手意識はあったものの、始まってみれば二回戦の渡邊選手との対戦同様に中盤の勝負所を抜け出すと最後は逃げ切り、21-16、21-15とストレート勝ちし、ベスト8に駒を進めた。

準々決勝で相対したのは富山の小見山選手。2年生ながら強豪を次々撃破した勢いは、由加奈にも襲いかかった。

1ゲーム目を9-21とまさかの大差で落とすと、開き直った2ゲーム目は序盤からシーソーゲームのまま終盤戦へ。しかし、20-22で落とし、由加奈の全国制覇への挑戦はベスト8で幕を閉じた。

ベスト8で負ける可能性、準決勝で負ける可能性、決勝で負ける可能性、優勝する可能性。考えうる4つの可能性全てが25%ずつだったと思う混戦模様の大会での由加奈の挑戦はここで途絶えたが、由加奈の力を全国に見せ付ける大会であったことは言うまでも無い。

「全国ベスト8」。実力に実績を組み合わせた次のステージである高校へと進む由加奈を、強豪校が放っておくはずも無かった。そう、一番にスカウトしてきたのは、東北の名門青森山田だった。

「由加奈という才能を生まれ育った京都で更に進化させたい」という気持ちから、筆者をはじめとするピスコムジュニアスタッフの面々に加え京都の名門高・西乙訓の山本監督(現・乙訓)といった関係者が京都に残ることの説得を試みるも、由加奈自身の青森山田という舞台で挑戦したいという意思は固く、高校でのステージを青森に決める。

だが今にして思えば我々は説得しているときから薄々感じていたのだろう。由加奈の実力を、ただ近くで見続けたかったという気持ちと、全国から猛者が集う青森山田という舞台で活躍する姿を応援したい、という2つの気持ちのジレンマを。



かくして青森へと旅立った由加奈は京都では味わえなかった全国屈指のチームメイトとともに苦しくも充実した生活を送る。

そんな由加奈の高校での全国デビューとなったのは1年生の選抜での学校対抗だった。3回戦からトップシングルスで出場するも迎えた準決勝で大阪の樟蔭東高校と対戦。19-21、20-22で惜敗しチームも2-3で敗れ準決勝敗退。高校では悔しい全国デビューとなる。

それでも2年生となった翌年の夏には青森県予選において同校の先輩を含むライバル達を次々撃破して2位に入り、インターハイの出場権を手にする。インターハイ本選では同大会で優勝した富山の高橋選手に破れたが、2年生で激戦区青森を勝ち上がった力と勝負強さには驚嘆の一句だ。



そして全国の舞台で「成績」を手にしたのは同学年以下の選手達と相対する全日本ジュニアだった。初戦で大分の福永選手。2回戦で島根の濱崎選手。そして3回戦では愛知の小川選手と、3選手とも中学時代から全国に名を連ねる強者たちとの対戦だったが、由加奈はそれらを攻略しベスト8入りを果たす。

しかしベスト8で対戦した青森山田のチームメイトでもある篠谷選手に敗戦しベスト8という成績に終わり、同大会では中学時代の全国ベスト8を超えることは出来なかった。

今後は最上級生として臨む選抜を経て(東日本大震災の影響により中止)インターハイと続く由加奈の高校でのラストチャレンジが続くが、今回の全日本ジュニアで1学年下ながら頂点にたった埼玉の奥原選手を初めライバルは多い。中でも今年夏のインターハイと今回の全日本ジュニアで2位となった福島選手や、由加奈自身が全日本ジュニアで敗れた篠谷選手は同じ青森山田のチームメイトだ。

由加奈が中学時代にピスコムゴールデンウィーク合宿での夜のミーティングで、目標を言うようにとの問いに対し確かな口調で、そして大きな声で「全国制覇」と語った姿を思い出す。チーム内から激しい闘いが続くが、仮にあったとしても僅かな差だろう。その僅かな差をあっさりと逆転してしまう人間と、いつまでたっても埋められず僅かな差のまま終えてしまう人間と二種類あると私は思う。

しかし由加奈は前者であるという確信にも似た期待を持っており、必ずや僅かな差を埋め悲願の全国制覇へと突き進んでくれるだろう。そんな由加奈に心からエールを送りたい。

今回のコラムを書いている間には、あまりプレッシャーのかかるようなことを書くのもどうかという思いは何度か頭をよぎった。が、由加奈には余計な心配だろうと思い、思ったままを書くことにした。それは何故か。

私にはよくわかっている。

そう、それは、由加奈だからだ。

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